〈偶戯を巡る〉は、人形遣い・人形美術家の長井望美と戯曲作家・演出家の藤原佳奈が、人形芸能のルーツを辿り、取材とその報告、試演実践を重ねながらそれぞれの上演へ歩みを進める場として立ち上げました。
以下は、〈偶戯を巡る〉第一回目の試みとして人形操りのルーツと言われる東北の民間信仰オシラサマを取材した7日間の記録ノートです。週一回月曜更新予定です。
オシラサマを辿る東北取材ノート〈6日目前編〉
2024年6月28日(金)取材Day6. 恐山(青森県むつ市)記:長井望美
Am8:35 恐山 (青森県
みなさんは恐山(おそれざん)をご存じでしょうか?
青森県の観光名所、日本三大霊場のひとつ、死者の魂が集まる場所…
テレビや漫画で、あるいは観光情報で、目に耳にしたことがある方も多いかもわかりません。
白い石の風景に小石が積みあげられ、鴉が鳴き、お地蔵さんの前に色鮮やかな風車がカラカラと回っているイメージ…
秋田在住であった小学生時代家族旅行で、大学1生の夏休みに青春十八切符で回った東北旅行で、そして今回取材旅行で、わたしにとっては人生三度目の恐山来訪となりました。
ーー以下、青森県観光情報サイト”AMAZING AOMORI” ※青森県観光交流推進部観光政策課運営
より抜粋
霊場恐山で地獄と極楽を歩く|特集|【公式】青森県観光情報サイト Amazing AOMORI (aomori-tourism.com)
下北半島に位置する霊場・恐山は、今からおよそ1,200年前、慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)によって開かれた霊場です。円仁が彫刻した一体の地蔵「延命地蔵菩薩」を本尊としています。地元では古くから「死ねばお山(恐山)に行く」と言い伝えられてきました。恐山はあの世に最も近いとされ、死者への供養の場・故人を思い偲ぶ場として、日本各地から参拝客が途絶えることなく訪れています。
恐山と呼ばれていますが、実際は「恐山」という名前の山が存在するわけではありません。釜臥山をはじめとする8つの山々に囲まれた宇曽利湖(うそりこ)があり、宇曽利湖の湖畔に沿うように「霊場恐山 恐山菩提寺」があります。
地蔵殿の左手に広がるのは、火山岩で形成された「地獄」。現世で犯した罪の罰を受ける136もの地獄をあらわしているのだそうです。辺りは荒涼としていて植物もほとんどなく、至るところから火山性ガスが噴出していて、まさに地獄のような景色が広がっています。
また、地獄には参拝客が供養のために積んだ石や小さなお地蔵様の人形が無造作に置かれています。人々の思いや祈り、願いが込められた営みが感じられる場所です。人々が大切な人を思う念が長年積もり積もった場所。だからこそパワースポットでもあり、一般的なお寺では感じられないような空気感が形成されているのです。
恐山には夏と秋、年二回の大祭があります。夏の恐山大祭には全国各地から大勢の参詣者が訪れます。中でも「イタコの口寄せ」は、死者の霊を呼び起こし、故人と今、現実に逢ってでもいるのかのように対話できる不思議な世界を体験できます。昔から「大祭の日に地蔵を祈れば、亡くなった人の苦難を救う。」と伝えられており、秋詣りとともに大勢の人々でにぎわいます。毎年7月20日から7月24日に開催。--------
《恐山とイタコ》
そう、恐山はオシラサマ信仰と深いかかわりを持つ、東北の民間仰の盲目の巫女「イタコ」と縁深い場所。イタコは祭祀的な役割としてオシラサマ信仰に登場したり、しなかったりします。(どっちやねん!)オシラサマについて調べよう!と意気込み調べ始めた人は、まず、オシラサマとイタコの関係性の謎…説明が一元化できない…に首をひねることになるのですが…
イタコとはいったい何者なのでしょう?前日訪問した青森県郷土館の資料をお浚いしてみます。
イタコ
川倉や恐山の地蔵さまの祭日に集まるイタコとは、どのような人たちで、どのような役目をしていたのでしょうかー。
イタコといわれる盲目の巫女が、川倉や恐山のところで死んだ人たちの霊をよびもどし、死者にかわってものをいう口寄せ(くちよせ)をしています。
このように神仏や霊の世界と俗界(現実の世界)をむすびつける役目をする女の人たちを、イタコとよんでいます。イタコはお守りが入っている丸筒(オダイジ)をせおって、大きな数珠をすりながら仏降ろしの文句を唱えて口寄せをしています。また、梓弓とよばれる弓をたたきながら口寄せをすることもあります。
人びとはそのほかに病魔のはらいや吉凶の占い、オシラサマあそびなどもイタコにたのみました。
昔は盲目の女の子がいると、名のあるイタコのところへ入門させ、きびしい修業をつませて、イタコにすることが多かったのですが、このごろでは、その風習もしだいにすたれて、イタコの数もすくなくなってきました。-------
ーー以上、青森県郷土館展示キャプションより抜粋
イタコは、東北地方北部の民間信仰の巫女の一種、とされています。地域に根付いた霊的な力を持ったシャーマンであり、心理カウンセラーのような役割も果たしたそう。弱視・盲目の女性が地域社会で生きていくための受け皿としての専門職という社会的機能もあったようです。
イタコは「口寄せ」を行うことで有名です。口寄せとはイタコが依頼を受け死者(動物もよびだせるそうな)の霊魂を現世に召びだし、自身の身体に憑依させ、自らの口を介し死者の言葉を語り、依頼者が死者のメッセージを受け取ったり、死者と対話することを可能にする、という呪術的行為です。
イタコは口寄せの他にもは憑き物のお祓い、悪魔祓い、虫封じ、魔除け、身体のおまじないなど様々な儀式を行っていたそう。
イタコとオシラサマ信仰とのかかわりは、小正月(1月15日)(時代や地域によっては他の月にも年数回行っていた例もあるそう)にオシラサマを保持する家がイタコを招き、イタコがオシラサマのご神体を両手に持ちオシラ祭文を唱えアソバセ、集まった人に託宣を行っていたという信仰形態があった、ということです。
《恐山とイタコの盛衰》
今日の恐山とイタコについて、今回の取材旅行で耳にした記憶が蘇ります。
「昔は岩手からも、亡くなった方と対話したい、と、マイクロバスを仕立てて沢山の人が青森の恐山まで行ってた。いまではそういう話はまず聞かない。」(2日目、遠野の伝承園職員さんより)
「今では青森県内で伝統的なイタコさんとして活動している人は残り2名程であるという。そのうちお一人は高齢で活動が困難になっているようだ。」時代が降り、イタコという職能が静かに消えていこうとしている…(5日目、八戸市博物館にて)
恐山自体を訪れる人、寄せられる信仰や念(?)のエネルギーの量や質のようなもの…もこの数10年で随分と変わってしまったのかもしれません。
《オシラの魂ー東北文化論》
『神秘日本』(みすず書房)は芸術家でもある岡本太郎の日本紀行文集です。岡本は1962年に青森に取材し、民間信仰や芸能、人々の暮らしなどを民俗学的な視点で写真を撮り、「オシラの魂―東北文化論」を執筆し、1964年に『神秘日本』を上梓しました。戦後復興から経済に暮らしに上向く日本が湧きたった時代。多くの死者の記憶を抱えながら時代を進める生者たちの躍進。たくさんのイタコが東北で活動し、彼女らを介し死者と言葉を交わしたいと集まった人々でにぎわった時代の恐山、強いエネルギーを放っていた東北の民間信仰とそれを取り巻く女性たちの姿が描かれています。
恐山の地蔵盆に巫女が集まるようになったのはそう古くはなく、明治のはじめからとか。太郎が菩提寺の住職に尋ねてみると、「巫女は寺とは何の関係もなく、本殿に上がって口寄せをやってはいけないことになっているけれども、この附近とかサイの河原に集まってくるのは、まぁ仕方がないというところです…」厳しい自然に抱かれ、宗教政治的中央権力の影響の薄かった東北での、アニミズム的世界観での仏教と民間信仰の共存。
岡本太郎は、恐山・川倉の地蔵盆、口寄せ、オシラサマ信仰などを、東北の中年以降の…多くは嫁ぎ主婦となった女性たち…、「おがさま(おっかさん)」「あっぱ(お婆さん)」たちの魂の解放の祭りとして生き生きと描いています。
--ひどく純粋で、それ自体としてまことに真実なのだ。矛盾しているとか、オカシイなんて、疑うのはまったくのお門ちがい。たとえ矛盾していても、口よせは彼女らにとって、冗談ごとや、いい加減な所業ではない。イタコも、アッパたちもひたむきだ。女たちはただ一人この世に(もうこの世にいないのだが)信じるもの、その名に託された声を聞きながら泣き、歓喜する。そのために、ここに来ている。信じているといえば信じている。信じていないといえば、信じていない。どっちだっていいのだ。泣いているけど救われている。それはまた、言いようなく楽しい。現し身のカタルシス、といってもいい。…
---イタコの口寄せは、人生の暗闇をたどってきた婆さんたちにとっては、やはり救いである。仏だろうが、神だろうが、むずかしい教義はわからない。生活の中の悲しみ、鬱屈したものをそれによって解きほぐす。
私はそれを見ていて、やはり魂の救済だな、と思った。よきにつけ悪しきにつけ、人生が晴れでも嵐でも、彼女たちはイタコの取りつぐ霊の声を通じて、それはそういうものだと納得する。受け取る勇気を与えられる。それは力なのだ。口よせ以前と以後と、状況は少しも変わらない。けれでも人生はその姿のままで、自然に流れ、魂は安らぐのだ。…
--そうだ。お婆さんだ。
彼女らについて私はあまりにもウカツだった。いや、日本の歴史、文化が、不当にそのいのちを無視して来たのではないだろうか。
---以上『神秘日本』岡本太郎:著 みすず書房「オシラの魂―東北文化論」より
岡本太郎の絵画そのもののような、極彩色でエネルギーにあふれ風景が躍り出すような筆致の紀行文は、これらの民間信仰を通して、日本の歴史の日陰に追いやられてきた女性たち…なかでも結婚をし家庭に入り、家庭と地域を支えながらも社会的には無名の存在であった東北の中年・老齢の女性たちの存在を、喜びと悲しみを内包しながら生命力に満ち、祝祭のひとときギラギラと輝きはじけ、人生の悲しさを超越してゆくエネルギーに満ちた存在として描いています。
62年前のオシラサマ、恐山、イタコ、東北の女性たち…を通して、今日でもわたしたちに日本社会と女性について見つめなおすきっかけを与えてくれる一冊です。
《口寄せ体験》
…2024年に話を戻しましょう、恐山霊場を一巡りしたわれら偶戯を巡るチームは山門の脇にこのような看板を発見しました。「イタコの口寄せ」看板…!!階段を上がり建物を覗き込むと大きな数珠を持った…50代後半から60代くらいでしょうか?…の晴眼の巫女さんらしき女性がにこやかに床に座しておられます…
「こんにちは…。」
「こんにちは。さて、どなたを召びましょうか?」
「……!!」
八戸のはっちミュージアムでボランティアさんとの間に発生した『イタコさんを捜せ』クエストを達成できなかったわたしたち。「こ…、ここまで来たらぜひ、イタコさんとお話したい!口寄せをしてもらいたい!!」と部屋に上がり込み、わたしと藤原さん、順番に、それぞれ、祖母、祖父の口寄せをしてもらいました。
以下は、わたしたちが体験した口寄せの儀式の手順です。
①巫女さん(※後ほど確認したところ、正確にはわたしたちのお会いした巫女さんはイタコではなく、青森県南部(旧仙台藩領)から宮城県に分布する民間信仰の巫女「オガミサマ」だったそうです。東北にはかつて地域ごとに民間信仰の巫女が存在し、それぞれが地域に根付きお祓いや託宣、口寄せなどを行っていたそう。)と依頼者が対面して座る。
②巫女さんに死者との続柄・命日を伝える。口寄せに必須の情報だそう。
巫女から依頼者へ、召び出したい死者との関係性の聞き取りが世間話調で行われる。
(死者の名前、出身地、生年月日、人となりなどは尋ねられなかった。依頼者の名前や住所などの個人情報も同様。)
③巫女さんから「いまから詠唱を行います。それが終わると召びだした方(死者)がわたしの身体に憑依するので、話しかけてくださいね。」と告げられる。
巫女さんが目を伏せ、数珠を鳴らしながら口寄せの呪文(祭文?)を詠唱する。
④詠唱が終わり、トランス状態になった(?)巫女さんがガクリとうなだれ、「孫や…」と話し始める…
⑤召びだされた死者と対話をする。召びだされた霊魂(あるいは憑依状態の巫女さん??)と依頼者の対話を紡ぐ緊迫した言葉のキャッチボールが展開される…
⑥口寄せが終わり、巫女さんの憑依状態が解ける。巫女さんから「お話しできましたか?わたしは憑依中の記憶はないのですが…」と告げられる。依頼者が口寄せで起こったこと,所感などを巫女さんにフィードバックする。
…口寄せ料は一人の霊につき4,000円。一霊(?)追加するごとに+4,000円でした。(※2024年6月時点。巫女さんにより価格が違う場合もあるようです)。
ちなみに、わたしは、生まれも育ちも兵庫なわが祖母の霊(?)が東北弁で語り出したのでぶっ飛びました。…生前はちゃきちゃきの兵庫弁しゃべってはってんけどなァ…
口寄せには、巫女さんに憑依した霊が一方的に語り出し去っていくケース、しっかり依頼者と霊が対話して去るケースなどがあるようです。わたしたちはがっつり対話型の口寄せ体験でした。
口寄せ後に件の巫女さん…オガミサマにお話を聞けました。彼女は宮城県から通ってきているとのこと。昔は盲目の少女が師匠について若いうちから修業したものだったが、自分は結婚をして主婦となったが夫に先立たれ、晴眼ではあるが生計を立てるためにオガミサマになる決意をし、師匠について修業をし開業したとのこと。
オガミサマの修業は多岐にわたり、様々なスキルを習得する。巫女の中にもなになにが得意、なになにならあの人、というのがあって、オガミサマにもオシラサマアソバセをする者もあったけれど、自分にはできない。イタコは近年減少しており、オガミサマである彼女も恐山まで遠方から通うようになった。現在では恐山で口寄せを行っているのは彼女ともう一人のイタコの2名しかいないということ。普段は地元宮城の方でオガミサマとして依頼を受けて働いている、ということでした。
《冥婚の花嫁人形》
口寄せ体験のインパクトに呆としながら菩提寺の堂内を覗くと、壁際にズラリとケースに入れられた花嫁衣裳の人形がたくさん並べられていました。
前日、青森県立郷土館でお聞きしたお話…「青森には男性が未婚のまま亡くなった場合、家族が死者を一人前の男性とするため、花嫁の人形を奉納し冥婚をさせる習俗が残っている。」…
その実例を恐山で実際に目にしたのでした。冥婚の花嫁人形と聞き、前日、わたしは脳内に古式ゆかしい日本人形が花嫁衣装を着ているさまを思い描いていたのですが、実際に恐山の菩提寺の壁に並べられたケースの中の人形たちは、小顔で等身が高くスタイル抜群、なかなかに色っぽい白無垢姿の黒髪の美人花嫁人形たち…あれっ金髪のバービー人形も混ざっていたような…。冥婚人形の意外なポップさ、現代性、ずらりと並べられた花嫁の体数…に度肝を抜かれたのでした。
(これはいったいいつ奉納されたものだ??)
死者と生者、巫女と人形(ひとがた)と…。
時代が推移し、人々の生活や意識が変容し、例えばオシラサマやイタコという民間信仰がかつての形態を保てなくなっていったとしても、形を変え、形式を変え、人形(ひとがた)が死者、あるいは人ならざる存在、そして今日を生きる地域の人びと…を結ぶなんらかの信仰(あるいは信仰的行為)、文化は、こうして東北に息づき絶えることはないのだろうな…とくらくらしながら山を下りたのでした。
取材はこの後、6日目後編… 恐山(青森県むつ市)→宮古市立図書館(岩手県宮古市)→川井村北上山地民俗資料館(岩手県宮古市)→宮古市泊
と続きますが、長くなってしまったので前後篇といたします!